エイプリルフール

解説

通信ってなあに

 通信とは,離れたところにいる人と人の間で,手紙や電話のような手段を媒体として,相互に意思の疎通を図るものといえるでしょう.人は誰も「ひとり」ではないのですから,現代の社会において,ビジネスはもちろん,個人の生活においても,通信の存在は欠かすことができません.そもそも,エイプリルフールを通じて世界人類の生活をこれほどまでに豊かにしたのは電気通信サービスであるということを忘れてもらっては困ります.

通信というものの特質

 通信サービスが私たちの生活に欠かせないインフラであることは既に述べましたが,荷物や人の輸送と異なる点として,人の意思や表現自体を運んでいる,というものがあります.
 人間が他の人たちと係わりあいながら社会生活を営む上で,誰からも干渉されることなく自由に意思を伝え,意見を表明しあえることは,非常に重要なことです.
 憲法においても,第21条の「表現の自由」に続く形で,「検閲は,これをしてはならない.通信の秘密は,これを侵してはならない.」と明文の規定を置いています.これは,戦時中に通信が国家権力によって検閲され,国家に都合の悪い表現が制約されていったことへの反省によるものと考えられます.
 手紙や電話,インターネットなどの通信手段は,誰もが自由に使うことができること,その内容の秘密が守られることが必要であり,憲法の規定を受けた電気通信事業法においても,電気通信事業者にその遵守を厳しく求めています.
 通信というものには,その当然の前提として「人と人を結ぶ」ということがあります.当たり前すぎるほど当たり前の話なのですが,そのような通信の特質を逆説的に伝えたかったのが,「ひとり電話」です.誰とも通信できない「ひとり電話」は通信にあたりません.手紙に例えるならば,手紙を書いて机の引き出しに秘めておくようなことにあたるでしょう.

通信の秘密について,もう少し

 電話や郵便の時代は,通信は「1対1」というのが原則だったといえるでしょう.ダイレクトメールのようなものを考えても,まだその原則は崩れていなかったように思います.
 そのような前提であれば,通信サービスの悪用が問題になることは今ほど多くなかったと思うのですが,インターネット時代では,「通信」が実質的に「1対多」,さらには「多対多」になってしまうことがあります.従来であれば,新聞やテレビなどが担っていた情報の発信が,通信のカテゴリに入ってきているのです.
 一般論として,それは歓迎されるべきことです.市民が自分の考えを広く伝える手段を得たり,スモールビジネスのありかたも大きく変わりました.しかし,悪意を持った情報の発信が,結果的に通信の秘密の保護を受け,その捜査や検挙が困難になっているという問題も起こっています.もちろん,通信の秘密は無限定ではありません.(典型的には,通信傍受法という法律が存在します.)それでも,通信の秘密に関する事項は,裁判所の命令がなければ捜査機関に対して開示することが許されていないなど,例外を作るためには厳格な手続きによる必要があります.仮に違法な通信を発している疑いがあるとしても,通信事業者が何らかの判断を行うことは問題です.
 個別論としては,「そのような通信にまで通信の秘密を及ぼすのは問題だ」ということもあるでしょうが,その議論はオーバーヒートして「通信の秘密が犯罪の温床になっている」どころか「通信の秘密それ自体が問題だ」というような主張にいたることもあります.しかし,1つの個別論を根拠に例外を作れば,それが広がるおそれがあるのが世の常でもあります.通信の秘密に関する議論は慎重であるべきだという主張は,その多くがこの点を非常に懸念しているからです.それでも,通信サービスの悪用による「わかりやすい」被害を前に,「わかりにくい」通信の秘密は少しずつ侵食される方向に向かっていくのでしょう.

児童ポルノのブロッキングの話

 最近では,「児童ポルノのブロッキング」が話題になっています.webサイトの削除では追いつかないため,通信経路上でHTTPのアクセスを探知するなどの方法で,アクセスを遮断しようというものです.
 大きな問題は,ブロッキングは児童ポルノに関係のない人も含めた,利用者全員の通信の秘密を一度は侵害することになるということです.(児童ポルノにアクセスしている人はいないか,ということを経路上で監視するのですから,そのようになります.)
 児童ポルノが被写体となった児童の尊厳を踏みにじり,自分の画像の流通に怯える人生を余儀なくさせることからも,作成者,発信者は厳しく処罰されるべきでしょうし,捜査機関が発信者を法律の手続きにより探知して検挙することも当然です.
 ブロッキングについても,あくまでも個別論としては,児童ポルノの被害の特殊性から,利用者全員の通信からアクセスを探知することもやむを得ないという考え方も,十分ありえます.実際,児童ポルノの規制自体に反対する人は,そう多くないでしょう.(念のために付け加えると,ここでいう「児童ポルノ」は,現行法で規制されている,実在の被写体の写真などのことであって,空想の人物などは含みません.)
 一方で,「児童ポルノ以外に広がる可能性があるのではないか.」という懸念が非常に強いのも事実です.技術的にブロッキングはどのような内容のコンテンツにも適用できますから,国情によっては「国家保安法違反」でブロッキングということも十分ありえます.日本が今すぐにそのような状況になることはないのかもしれませんが,憲法や法律はもちろん,特に表現の自由などに関連する通信サービスに関する制度は,誰が権力を握っても国民の人権が守られるように考えなければなりません.
 1つの問題を考える上では,個別論だけで議論するのではなく,このような全体のことを考慮する必要があります.

「通信の秘密」を守るために

 「通信の秘密」が十分に機能しなくなれば,私たちの生活に与える影響は甚大です.
 小学校のときに多く経験した,クラスで1人か2人の悪いいたずらのために,全員に対して無駄な規制が増えていく,という図式のように,「通信の秘密」という国民の権利が崩れていくとしたら,どうでしょうか.
 通信の秘密を悪者にせず,これからも守っていくためにも,社会全体の意識により,通信というものを正しく使っていくことが必要といえるでしょう.
 電気通信事業に携わる私たちは,法的そして社会的な責務として,利用者(お客さま)の通信の秘密を堅く守り,相手方(もう一方の当事者)にお届けする義務を負っています.通信の内容に関与してはならず,どのような内容の通信であろうとも届けなければならない立場でありながら,いや,その立場であるがゆえに,通信サービスを悪用する犯罪や事件に,とても心が痛みます.
 通信が結ぶのは,人と人の心であり,気持ちです.手紙でもメールでも電話でも,内容次第で,他の人を幸せにすることもできれば,傷つけることもあります.私たちとしては,どうか人々の生活を豊かにするために利用してほしいと思います.
※昨年以前のネタはこちらへ.
※「契約料800円」の件,一部の方には笑いのツボだったらしいんですが,一応解説すると,あの電話会社は電話からISDNからBフレッツ,さらには専用線まで,どんなサービスでもなぜか「契約料は800円」なので,そのパクリです.